Amazon.co.jp: 落語論 (講談社現代新書): 堀井憲一郎: 本
友人と寄席へ行くのをここ数日たのしみにしていて、その勢いでレジへ持っていってしまった一冊。電車の中で立ったまま数ページ読み始めたら、やめられなくなってしまった。
私がときどき寄席に行くようになってまだ数年だし、頻度も数ヶ月に一回ほどなので彼の記述の妥当性を考えていくのはこれからになるが、納得のいく記述が多いような気がする。
サゲというのは落語が終わったことを観客に伝えるための符牒に過ぎないとか、だからサゲを分類しても意味がないとか、声色をかえて人物を演じ分けるの噺家は評価できない(広い音域を使って個々の人物を表現できないから)とかーーこれまでぼんやりと思っていても明確に言語化できなかったところを、私のかわりに端正な文章でつづってくれたような気がする。
酔客が客席にいたり震度3以上の地震があったら観客の関心は途切れ、落語は台無しになると著者は書いている。酔っぱらいはともかく、寄席で地震に出くわした経験が(どうも一度ならず)あるということは、よほど寄席に通っているのだと思う。
ラジオや週刊誌のコラムで見知っていた著者の意外な一面。落語への愛と、愛があるからこそ慎重に語ろうとする堀井さんの緊張感が行間から伝わってくる。

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友人と寄席へ行くのをここ数日たのしみにしていて、その勢いでレジへ持っていってしまった一冊。電車の中で立ったまま数ページ読み始めたら、やめられなくなってしまった。

私がときどき寄席に行くようになってまだ数年だし、頻度も数ヶ月に一回ほどなので彼の記述の妥当性を考えていくのはこれからになるが、納得のいく記述が多いような気がする。

サゲというのは落語が終わったことを観客に伝えるための符牒に過ぎないとか、だからサゲを分類しても意味がないとか、声色をかえて人物を演じ分けるの噺家は評価できない(広い音域を使って個々の人物を表現できないから)とかーーこれまでぼんやりと思っていても明確に言語化できなかったところを、私のかわりに端正な文章でつづってくれたような気がする。

酔客が客席にいたり震度3以上の地震があったら観客の関心は途切れ、落語は台無しになると著者は書いている。酔っぱらいはともかく、寄席で地震に出くわした経験が(どうも一度ならず)あるということは、よほど寄席に通っているのだと思う。

ラジオや週刊誌のコラムで見知っていた著者の意外な一面。落語への愛と、愛があるからこそ慎重に語ろうとする堀井さんの緊張感が行間から伝わってくる。